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愛し合うと死ぬ!?オメガバースに続く○○バースまとめ
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2017/01/18 13:18
海外のゲイは、日本独自の男色文化をどう思っている?
さて、このような文化に親しみのない海外のゲイは、日本独自の男色文化をどう思っているのでしょうか?
ゲイの留学生に男色について矢継ぎ早に聞かれたという筆者の体験からも、「同性愛は完全に悪」という価値観も残る地域で暮らしている彼らは男色文化に興味津々のようです(単純にサムライが好きというのも大きいかも)。
そんな関心を示すように、カナダのゲイ向けサイト『Daily Xtra』に、ゲイ男性が井原西鶴の『男色大鑑』の魅力を語る記事が投稿されていました。
この『同性同士のサムライの物語が日本でゲイの恋愛をいかに美しく描いたか』というタイトルの記事では、筆者のマイケル・ライアンズは「井原西鶴の短編集は17世紀に男性同士の関係を称賛した」と絶賛しています。
ライアンズさんはまず初めに、2016年の東京レインボープライドと日本のLGBTの人々に対する一般の態度を取材した、ライターのフィリップ・ブレイザーの「日本のメディアはまだLGBTの人達に対するステレオタイプを強化しようとしている」というコメントを引用しながら、一方で次のように書いています。
僧や武士が年下の少年と関係を持つような同性愛が社会的に認められていた
「このような場所でかつて男性同性愛が称賛されただけでなく、文化的な道楽でもあったことはおもしろい」
そして、井原西鶴の『男色大鑑』(1687)を取りあげ、このような書物が出版された背景について説明しています。
徳川幕府が絶頂を極めていた時代、商人はその莫大な財力で遊女や男娼、吉原などの歓楽街、芸術、そして大衆的な物語を存分に楽しむことができました。
このような都市に住む商人、つまり「町人」たちにとって、恋愛・性愛と結婚は別のものでした。
この前提によって、僧や武士が年下の少年と関係を持つような同性愛が社会的に認められていたのです。
しかし、ライアンズさんの興味は、商人と若い歌舞伎役者(若衆)の関係ではなく、「サムライ」同士の関係にあるようです。
中でも彼が取り上げたのが巻1に収録されている『墨絵につらき剣菱の紋』という物語。
この物語のあらすじを詳細に取り上げて、その魅力を語っています。
少女のように美しいと評判の15歳
島村大右衛門という27歳の浪人がある日蛍見に行くと、偶然にも殺人未遂の濡れ衣を着せようとする計画を発見してしまいます。
大右衛門は、春田丹之介という若い侍を陥れるこの悪だくみをくじき、偶然にも彼を救いました。
しかし、大右衛門はこのとき自ら名乗り出ることはしませんでした。
実はこの悪だくみを計画したのは丹之介に拒絶された熱狂的な求愛者でした。振られた腹いせに彼を陥れようとしたのです。
丹之介は少女のように美しいと評判の15歳で、念者(恋人)がまだできないのは、世間がそう期待しているからと言われているほど。
丹之介は自分を救ってくれた男性を探そうとしましたが、全くうまくいかず、もはや会えるようにただ祈るしかありませんでした。
しかし一年後この二人が偶然にも再会したとき、二人はすすり泣いて、出会いを喜びました。
このシーンを西鶴はこう説明しています。「彼らがそこでともに泣き出したのは、彼らがお互いに強く惹かれ合っていたからである。念者の正式な契りもなく、彼らは念友になった。」
切なく美しい2人の最後
しかしながら、道ならぬ恋ゆえ、人に見つかるのを恐れて、大右衛門は密会のために丹之介の家の裏手の川を泳いで渡ることになります。
ある運命の夜、天気が悪い中苦労して大右衛門が川を渡ると、川岸にいた丹之介は必死に大右衛門に抱きつきます。
それは恋人が死ぬ夢を見て、不安になったからでした。
大右衛門はそんな丹之介を情熱的に癒したあと、「夢が正夢になるなら、逢えないときは夢で逢える。それも楽しみじゃないか」と宥めます。
しかし密会の後大右衛門がまた川を泳いで帰るとき、茶会を開いていた若い侍の一行が、泳ぐ大右衛門を大きな鳥だと勘違いして弓で射掛けてしまいます。
矢が横っ腹に刺さって瀕死の大右衛門は必死に家に帰り、気が狂って自殺したように見せかけました。これは丹之介との仲が世間にばれ、家族や丹之介の評判を落とさないようにするためでした。
一方丹之介は、死んだ大右衛門の体に刺さっていた弓矢の紋から恋人を殺した仇敵を探り当て、復讐を誓います。
仇敵を大右衛門の墓に呼び出し、見事復讐を果たした丹之介はそのまま自ら死を選び、二人の侍の恋は終わりを迎えました。
何という悲劇的な結末……! 世を忍ぶ恋だったのに、恋人が偶然殺されてしまうとは。それにしても、あまりにも美しすぎて、世間が恋人を作らせないってスゴイですね。世間の闇を見た感じがします。
すすり泣きの文化
ライアンズさんがこの物語の「weep」すすり泣く、という行為に魅力を感じているようです。すすり泣く二人の男性に美しさを感じているようですね。
また、西鶴を初めて英語に翻訳した翻訳者によると、「西鶴は男同士の愛を理想化したいという欲望でこのような物語をつくった」と言われています。
記事の中では、「17世紀の日本では二人の男性が愛し合うということは想像もつかないようなことではなく、それが悲劇的な結末を迎えるにしろ、西鶴の物語は起こりうる物語だ」と締めくくられています。
かつて17世紀に男同士の関係を美しく理想的なものとして描いた西鶴を高く評価しているようです。
確かに、私たちの歴史の中で男性同士の恋愛が行われてきたということは、現在からみると驚きでもあります。男色文化が具体的にどんな様子だったのかということは意外と私たちも知らないかもしれません。
まさに手つかずの萌えのフロンティア、男色文化や物語をもっと発掘していきたいものですね。
記者:みかん