「何回も読み返してしまう?」にしては作品が新し過ぎるかもしれません。
他にも胸を打たれた作品は多々ありましたが、この作品の全体に流れる優しい雰囲気がとても好きです。
この作品で初めて杉原理生さんを知りました。
杉原さんの文章は流麗で非常に読みやすくしかも淡々と世界が紡がれる。
この方の作品にしては珍しく攻め視点から先に描かれています。
杉原さんの作品は総じて攻めの人物がとても優しく攻めである英之が過去を振り返りながら受けである遼の心へ踏み込んでいこうとする。
なので余計に遼の謎めいた部分が英之を通して印象付けられ、その分相手を心底愛しく想う気持ちが強く伝わってきました。
遼の父は不器用で弱く息子を溺愛していながらも子供の心に寄う術を知らず、仕事の失敗から遼に当たるようになってしまう。
昨今、子供に対する家庭内の虐待がクローズアップされますが、年端のいかない子供は無条件で親の事を想う。
親を悪く言う他人からはいじらしいほどの懸命さで庇おうとする。
12年前に英之に父の事を問われた時の幼い遼の「だって僕のおとうさんなんだから、そうでしょ?」
…これは読んでいて本当に辛かった。
そして自分はどの様に思われているのか分からないまま、自分が手を振り解いた後に父は亡くなる。
これほど子供にとって残酷な事はない。
宙ぶらりんにされたままの遼の心が憐れでこの箇所は恐ろしいほどのリアリティを感じ、
どんな過酷な運命に晒される主人公達より胸を衝かれました。
12年ぶりの再会で英之に思慕以上の感情を抱いているのに、封印していた過去に心を乱されるのを恐れる遼。
それでも少しでも長く傍に居たいと願う。
でも実は英之もそれは分かっているんですよね。
遼は感情を表面に出さないので何を考えているのか分かり辛いけど、時に自分を守るためにシニカルな言葉を呟くけど
その言葉の端々、ほんの些細な表情の変化に垣間見える彼の心をきちんと理解してあげています。
過去から繋がる二人の絆で慎重に数少ない言葉でもきちんと心に届くように話す。
また距離の取り方が絶妙で、余計な事まで言わされる羽目になる遼とのやり取りが微笑ましくて。
誰しも愛しい相手には幸せに笑っていて欲しいものです。
体を繋げば全てが分かるという訳ではないけれど、英之は遼を愛おしく思い大切にしたいと願う。
しかし一見、英之の方からやや強引に関係を持った様に見えるものの、
先に声をかけたのも遼からだし、何より遼の取る行動に英之が困惑しても当然。
本人はまったく無自覚な部分で本音を実践してる様で可笑しい。
ベッドのシーンも堪えている様な遼の仕草も色っぽくて素敵でしたが英之はもうそこは大人の余裕というか、
気遣いながらも自分のペースで事を進めてゆくという…
普段思慮深く落ちついて見えるので、そのギャップに思わずにやけてしまいました。
重い話でありながら二人のやり取りは読んでいて楽しく
事あるごとに遼の額を「またしかめっ面」と突く所がとてもツボで、
特に「遼、激しいやつしてみたいから、もう一回させて」
「おことわりします」「じゃあ、ふつうでいいから」
の遣り取りは頬が緩みっぱなしで困りまったw
遼に「壊れないものは、無いんだよ。だけど…壊れないように大切にすることはできる」と応える英之。
タイトルになった「音無き世界」それは遼の父が遼を撮ったサイレントの映像。
フィルムに自分の想いを焼き付けた父親。
フィルムを通して遼に広い世界を教えてくれた英之。
自らフィルムを撮る事によって英之・・・そしてきっと父とも心を共有したいと願った遼。
映像は多くの情報と共に如実に作り手の感情を映し出します。
それは別に映像に限らず人が創作する物は全てそうなのだけど、心は言葉に音にさえしなくても伝わる。
幼い頃に8ミリを通して遼が英之に抱いた信頼と思慕も、それは同じことなのだと思いました。
大人になった遼と出会い恋情を自覚したのは英之が先だったけどずっと昔から英之が好きだった。
そして英之はその心に応えたのだと思いました。
繰り返し読むたびに行間に隠されている登場人物の感情の流れが自然で優しく
読後は静かにじわじわ効いて来る微熱の様な温かさに満たされます。
心にトラウマを抱えた主人公という設定はBLでは王道なのかよく使われますがけして暗くはない。
センシティブと評される作者の持ち味が存分に発揮された作品だと思います。
表紙買いでした。
宝井理人さんのカバー絵は素晴らしく、「セブンデイズ」を初めこの方の色彩センスがとても好きです。
華奢で儚い絵柄が静かな内容にとても合っていたと思います。
読みながら挿絵の無い箇所でもずっと表紙の英之と遼を思い浮かべ世界に浸っておりました。
特にカバー絵の薄目を開けた英之の視線が色っぽいですw
ただ…欲を言えばカラーイラストはとても良かったのですが、
それに比べ挿絵に似た構図が多く、出来ればもう一捻り欲しかったと少し残念に思いました。
紹介者プロフィール:焔やおい世代の貴腐人です。 BLは10代、20代、3・・・(以下略;)と多少距離を取りつつたまに読むくらいでしたが 一昨年あたりから此方の世界にどっぷり浸かってしまいました。 特に「窮鼠シリーズ」「どうしても触れたくない」「魚住くんシリーズ」には本当に感動しました。巡り合えた事に感謝です! 今は色んな方のレビューを参考に琴線に触れた作品を少しずつ集めています。 何でもオープンな間柄の娘の冷めた視線もなんのその。 何時か彼女も「魚住くんシリーズ」を読んでくれないか等と本気で思う親ですw