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崎谷はるひはすごい。 『キスができない、恋をしたい』

2010/02/27 00:00

パターンは多々あれど、崎谷作品は、二人の登場人物が結ばれるまでのストーリーの面白さとそこに挟まれた濃厚な描写がたっぷり味わえるのが特徴だ。今回、紹介する「キスができない、恋をしたい」は味のバランスが調度いい。初めて崎谷作品を手にとる方にも、オススメしたい隠れた傑作なのである。

崎谷はるひはすごい。何がすごいってまずその刊行量である。現在手に入るものだけで60冊以上の作品があり、出版社の倒産や文庫化などで絶版になったものを合わせると80冊を優に超える。

そして更にすごいことに、2009年に至っては、ノベルスの文庫化を含めて15冊が刊行された。そのほかに原作のコミックスが数冊発売にもなった。そして本人は公式ホームページを運営し、作品情報や日記をかなりの頻度で更新している。書き下ろし掌編の配信までやっている。ここまで来ると、崎谷はるひって何人いるの、と聞きたくなる。CLAMPみたいに、崎谷はるひっていう作家集団なんじゃないのかと思えてくる。そんなばかな。

これだけの冊数が出ている作家なので、読む数が増えるとある程度お馴染みのパターン展開というものがあることに気づく。それによって好みが別れてくるだろうが、パターンとは言え結構な数があるので、一冊読んだだけでは自分の好みと合う作家なのかどうかが分かりづらい。

わたしが最初に読んだ崎谷作品は「ANSWER」だった。今思えば、執拗なほどの性描写の中に、それぞれのキャラが普段は表に出さない本音が隠されている秀作なのだが、当時はその繰り返し描かれる濡れ場の多さに食傷気味になってしまった。それ以来しばらく読んでいなかったのだが、なぜか店頭にあった新刊を手にして、ろくにあらすじを読むこともせずに買った。

既に刊行されている作品の関連作であることにも気付かず夢中で読み進め、終わったらはまっていた。

それが「キスができない、恋をしたい」だ。「恋愛証明書」で出てくる新宿二丁目のバー「止まり木」で出会った二人の物語で、「恋愛証明書」の主人公・遼一も出てくるが、いきなりこちらから読んでも問題はなかった。

ろくでもない男と付き合っては適当な扱いしかされない上に自分も我儘三昧。当然関係が長続きするわけもなく恋人が出来てはすぐ別れて新しい男と付き合い始める、を繰り返しているフリーターの脩は、止まり木でSEの憲之と出会う。初対面のときから自分の派手な容姿や馬鹿っぽい喋り方に何かと文句をつけてくる憲之に苦手意識を持っている脩だが、とあるきっかけで二人は付き合い始める。

恋愛感情を持っている同士で付き合ったわけでも、片方の恋心にもう片方が押されたわけでもない。肉体的にも精神的にもまともな恋愛をしたことがなく、生活も他人に依存しきっていた脩のライフスタイルと性根を是正すべく、憲之が提案したのだ。きついことばかり言うけれど、憲之の言葉はどれも真実で、自分に呆れつつも心配してくれているのだと分かり始めてきた脩は、その申し出を受け入れた。少し好きになりかけていたところだった。

脩はいかにもおばかキャラで、ひらがな多めで喋る。難しいことは知らないし、考えたくもない。楽しければいいじゃん、と思って生きているけれど、イマイチ人生は楽しくならない。それに比べて憲之は笑えるくらい堅実に、真面目に、自分の能力を活かした仕事をしている。きつい語調で畳みかけるように相手を追い詰めていく。正反対の二人は、最悪の出会いと奇妙な始まりで恋人になった。ちぐはぐすぎる二人の会話は噛みあわないことだらけなのに可愛くて、ふわふわしている。

現在は、なんだかんだで交際を続けて三年目だ。序盤の順調さが嘘のように、生活時間の違いと憲之が多忙な所為ですれ違いまくっていることに脩は不満と、なにより孤独を感じている。

現在進行形のトラブルと付き合い始めてから今までの三年間が交互に描かれて埋められてゆく中で、三年の間に憲之がいかに根気よく、誠実に脩を教育してきたのかがよく分かる。きちんと理由をつけて脩に納得できるように社会のルールを教え、かれが立派なひとりの大人となれるように少しずつ仕向けた。そしてこれまでは誰に罵られようと咎められようと「好き」「嫌い」で判断してきた脩もまた、憲之の言うことをきいて頑張って行動した。甘ったれのかれは泣きごとを言いつつも、なんとか社会にしがみ付いてここまできた。憲之は厳しいけれど優しく、誠実だった。だからこそ、現在のかれの態度が脩にはとても悲しい。脩には理解できるはずもない難しく大変な仕事を抱えているかれと、ライヴハウスで社員として働き出した脩では時間帯が全く合わない。たまに家で会ってもろくな挨拶すらなく、脩が話しかけようとするとまた今度、と遮られる。髪型を変えても気づいてくれない。あまりにそっけない態度をとる憲之に、普通の恋人同士であれば、自分のことを愛していないのかなどと詰め寄ることもできるかもしれないが、元々愛し合って付き合い始めたわけでもない脩は強く出られない。かれが本気で疲れているのが分かるから余計に。

それでも脩の寂しさは嚥下しきれるものばかりではない。ふと気づけば自分は家政婦のようで、誰にも褒めてもらえない。友人の遼一は優しいけれど、かれにだって恋人がいるし、そうそう脩を構ってくれるわけでもない。憲之は頼みごとだけを簡潔なメールで送ってくる。「じゃあ、なんで一緒にいるの」という脩のモノローグがせつない。きっかけはお互い様でも、脩はもうとっくに、憲之のことを好きになっている。庇護されたいのでも誰かに傍にいてほしいのでもなく、憲之を恋愛対象としてみている。そのことをかれにも伝えたのに、肝心の返事は「ふーん」だった。それでもいいとそのときは思ったけれど、いざ放っておかれると色々なことが不安になる。果たして自分たちは今も付き合っているのかとすら、思えてくる。言葉も肉体も与えられなくて、戸籍で繋がれるわけでもなくて、じゃあ一体何を信じればいいのか、脩には分からなくなる。

パターンは多々あれど、どの作品も二人の登場人物が結ばれるまでのストーリーの面白さが大前提にあって、そこに濃厚な性描写が、ストーリーを崩さない範囲で挟まれているのが崎谷作品の特徴だと思う。ストーリーも濃厚で読んでいて胃が痛くなるものから、ライトに楽しめる穏やかなものまで色々ある。この作品はそのちょうど真ん中くらいに位置しているのではないだろうか。相手にされないと悲しむ脩の嘆きはせつないけれど、笑えるシーンも沢山あってバランスが良い。

どんどん募ってきた脩の不安を更に煽るような事態が起こる。浮気の証拠とまではいかなくても、憲之の持ち物に他の人間の気配を感じてしまった脩は、更に思いつめてしまう。

そこから物語は佳境に入るのだが、最初から最後まで憲之のキャラがブレない。三年前に脩に言ったことをいつまでも覚えていて、その約束を果たそうとするかれの信念のつよさがいい。社会的には素晴らしいけれど、それほどまでに有言実行で、言い訳や途中過程を一切語らないさまはちょっとフツウじゃない。そのフツウじゃなさを脩は知っている。知っていて、フツウじゃないよと言いながらも、かれと一緒にいる。憲之といることは脩にとって幸せなことばかりではない。心配したり嫉妬したり寂しくなることもこれから先も沢山あるだろう。説明不足気味な憲之に振り回されることもあるだろうし、謝罪が苦手で人を言い負かすことが得意な憲之の態度に悔しい思いをすることもあるだろう。それでも脩はそれ以上のものを憲之から得てきたし、かれと共に生きてゆくのだ。

全く別の環境で育った二人の人間が出会って、少しずつ相手を知って恋心を抱き、育んでいく王道ストーリーとは少し違う切り口で書かれた作品だけれど、あまり深くものを考えない脩ががらにもなく思いつめる様子や、憎まれ口ばかり叩く憲之が陰でロマンティックな策を練っているギャップが良い。きっかけがきっかけだったために、なかなか一般的な恋人同士のようにふるまえないぎこちなさや不器用さが微笑ましい。

代表作と呼んでも良いであろう「ブルーサウンド」「白鷺」「慈英×臣」各シリーズや、長く愛されている「ANSWER」シリーズと比べても派手さはないけれど、バランスの良い一冊だと思うので、初めて読むひとにも、一端止めたひとにもお薦めです。

紹介者プロフィール:まゆみ
音楽とか舞台とか洋服とか、とにかく好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうな月に負け犬的おたく。本を売って稼いだお金で、本を買って生きています。つまり本屋で働いています。誘惑にはすぐ負けます。 物心ついたらおたくで、気がついたら人生の半分以上腐っていました。節操も地雷もありませんが、歴史物・宗教物・主従物・中学生攻・親の愛を知らないまま大人になった子供、みたいなシチュエーションが好物です。おやじとアンドロイドも大好きです。 その他、本の感想と日常の出来事を書いているブログはこちら。 http://defeated.jugem.jp/

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