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2022/10/16 18:00
2023/01/10 20:00
今年の大河ドラマ『どうする家康』。最近、本作に登場する織田信長の、とある発言がSNSをざわつかせたのをご存知でしょうか?
第1回のラストにて、岡田准一さん演じる織田信長が駆ける馬の上で一言。
「待ってろよ 竹千代。俺の白兎」
思わず二度見(聞き?)してしまうような衝撃発言です。相手のことを兎と呼んでいるだけでもかなり萌えポイントが高いですが、これに俺のが付くだけで、一気に独占欲マシマシなスパダリに……。 また、幼少期のシーンでは、徳川家康の耳元で「食ってやろうか」と囁いた織田信長。SNS上でも、まるでスーパー攻め様のような発言だ~! と非常に盛り上がりを見せました!
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にて、源実朝が北条泰時に対して淡い想いを伺わせるシーンが描かれ話題になるなど、大河ドラマをきっかけに彼らの史実にも興味を持つ視聴者が続出。筆者もその一人です。
というわけで今回は、織田信長をはじめとした歴史上の人物における「男色事情」を調べて参りました! 彼の生きた時代である鎌倉~室町時代を中心に紹介しますので、ぜひドラマから興味を持った方も最後までご覧くださいね。
※ご紹介するエピソードはあくまでも一説によるものです
◆目次◆
1.織田信長~噂が絶えない武将~
2.源実朝~熱烈ラブレター~
3.足利義教~男色で殺された将軍~
4.足利義満~生涯愛し続けた美男子~
5.藤原頼長~男色赤裸々日記の作者~
6.大伴家持~少年時代の淡い想い~
先ほども取り上げた、戦国時代を代表する武将・織田信長。俺の白兎こと徳川家康(幼名は「竹千代」)と、織田信長の衆道関係を裏付けるような文献は発見できませんでした(もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください……)。
しかし! 1547年に運命の出会いを果たします。10歳という若さで松平氏の当主となった松平広忠。彼は今川義元を頼ろうと竹千代を人質として送ります。しかし、家臣の裏切りで竹千代は織田信長の父、織田信秀の元に! こうして1547年、織田信長が13歳、徳川家康が4歳の頃に彼らは出会うのでした。
ちなみに、織田信長の衆道関係で有名な人物の1人として挙げられる前田利家(まえだ としいえ)。彼は織田信長の愛人と言われていました。この関係が噂されるのは、加賀藩の資料である『亜相公御夜話(あしょうこうおんやわ)』の「鶴の汁」に原因があります。こちらのエピソード、安土城で信長が宴をした際に、利家の髭を引っ張りながら、若い頃愛人関係があったことを仄めかす、というもの。特に髭を引っ張りながら、が心に刺さりまくりました。少し照れていたが故の行動なのでしょうか……!?
前田利家のほかにも、信長が寵愛した人物として有名な森蘭丸(もり らんまる)をはじめ、堀久太郎(ほり きゅうたろう)や長谷川竹(はせがわ たけ)などとも男色関係にあったという説が。やはり男色は武士のたしなみだったといえそうです。
お次は鎌倉幕府3代将軍・源実朝(みなもと の さねとも)です。彼については、三田武繁氏が「源実朝の『晩年』」で以下のように述べています。
実朝は、精神的、もしくは肉体的な理由から、男性に対して強い愛情をもつことはできるが、女性に対する恋愛感情は希薄で、子孫を遺すために必要な女性との関係を構築できない人間、すなわち女性を性愛の対象とみることができない人間であった、と推測できるのではないだろうか。
―三田武繁「源実朝の『晩年』」
鎌倉時代の歴史が書かれた『吾妻鏡』には、源実朝と男性に対して恋慕の想いを込めた歌を歌っていることが書かれています。
そこには、実朝の傍らにいた人物・東胤行(とう たねゆき)が下総国に行ったままなかなか帰ってこないことに対して、早く帰ってきて欲しい、あなたが恋しいと帰りを促したという記述が。
通常、このような内容は恋人や妻に対して送るもので、決して部下や側近に対して送る内容ではありません。こんな熱烈な内容を送っていた二人が一体どんな関係だったのでしょうか……!?
続いてご紹介するのは、室町幕府の6代将軍・足利義教(あしかが よしのり)。
彼は、将軍になる前は僧をしていたという異色の経歴の持ち主です。そんな義教は、僧として籍があったころから男色関係が見られたと言い伝えられています。
将軍に就任すると、赤松家の傍流・赤松貞村を非常に寵愛します。貞村が大好きで大好きでたまらない義教は、播磨・備前・美作の三国をプレゼントしようとします。完全に貢いでます。
しかし、この国をもとから持っていた赤松満祐は勝手に取り上げられることに大激怒! 自分の家で開いた宴会の最中で、嘉吉の変を起こして、義教は殺害されてしまうのです。
先ほど取り上げた足利義教の父で、室町幕府5代将軍・足利義満(あしかが よしみつ)。彼にも息子と同様、男色にまつわるエピソードがあります。
彼が生涯愛し続けた美男子……それは、能のパイオニアとしても有名な世阿弥(ぜあみ)。世阿弥は相当な美男子だったらしく、南北朝時代を代表する連歌師・二条良基(にじょう よしもと)も夢中になるほどだったそうです!
義満と世阿弥が出会ったのは、義満16歳、世阿弥11歳のとき。義満は、美男子・世阿弥を一目見た時から超絶気に入って、観世一座を庇護するなど世阿弥を寵愛します。
その溺愛っぷりは当時でも群を抜いていたらしく、たびたび世間の人を驚かせてきました。
例えば、1378年(永和4年)の祇園祭では、特権階級の者のみが座れる最も特別な席である桟敷席に世阿弥を帯同して鑑賞。世阿弥は賤民階級なので、相当目を惹き、噂になったことは間違いないでしょう。
まさに、恋は盲目! 義満が死ぬまで関係性を結び続けた二人には、莫大な絆の深さを感じます……。ちなみに二人が出会った地・新熊野神社には、出会いの時が描かれたお守りも販売されていますよ。
担当記者:ミケ |
コメント10
匿名7番さん(3/3)
これそのまんま歴史ドラマにしたのを観てみたい・・・
絶対面白い・・
明治あたりまではBL乱舞ですよね~
よく知らないけど、明治維新もので、2人は性愛で繋がれた無二の親友兼恋人同士だったのに、キリスト教や明治政府によって同性愛が弾圧されるようになって~~~みたいな話とか
同性愛多すぎて悩む新撰組とか
あまりに同性愛者が大っぴらすぎてザビエルと大名が喧嘩したとかw
時代物ってわりと現代的な同性愛タブー視が残ってものが多い気がしますが、タブー視とっぱらったらどんな仕上がりになるのか興味あります
匿名10番さん(1/1)
俺の白兎にはザワっとしたけど、鎌倉殿の実朝様は素敵だったな。泰時が従者と仲良くしてるのをみて嫉妬しちゃったりとかさ、恋の歌とかさ。教養のある方の恋って感じで素敵だったし、将軍として想いを遂げることはできないと分かってるところも切なかった!
実朝様には幸せになって欲しかったよ
匿名9番さん(1/1)
>匿名5番さん
『吾妻鏡』に載っている和歌は東胤行に贈ったものですね。重胤(胤行の父)に贈った歌は記録にないんです。
(この歌ではないか?と噂されているものはありますが、あくまで噂なので)
匿名8番さん(1/1)
嗜みとしての男色を匂わせる描写は何度か観たことあったし文化の知識としてあったけど、そういう後天的にライフハックとして習得したんじゃ無い、ただ同性に恋をしたり又は誰かに性愛を抱けない人だっていたはずだよなあとハッとさせられる大河だったな
匿名6番さん(1/1)
あまりにこたつ記事過ぎないか。切り貼りする途中で間違えてもいるし。
匿名5番さん(1/1)
吾妻鏡に記述のある実朝の歌は東重胤に宛てたものだと思ってました
東胤行に送ったものだったんですか?
匿名4番さん(1/1)
昨日の大河は良かったです。実朝様の片想いが切なすぎたし俳優さんもお上手。いいもん見せてもらいました。大河は再放送もあるので腐女子には是非見てほしい回です。
あと記事の「台記」って何だ!今でいうゲイ性体験ブログみたいな感じ?(全然違う)まさか1000年以上も後に腐女子という人類を萌えさせるとは彼らも思わなかったでしょう。
興味深い記事、ありがとうございます。
匿名3番さん(1/1)
いくらなんでも義満は3代将軍であることは有名なんじゃ・・・
匿名2番さん(1/1)
日本史履修者なら歴史上の人名はほとんど学習範囲内です。
誤字脱字がそんなに多いですか? もしかして和歌の旧かなづかいや古語のことを指摘しているのでしょうか…
匿名1番さん(1/1)
読み手が知ってる前提で書いているようで人物名にふりがながない、それは百歩譲ったとして、誤字脱字が多くて読みづらい。
読んでほしいなら内容云々の前に読みやすさを考えたら?せっかく面白い題材だと思ったんだけどなー