BL作品を読みドラマCDを聴くにあたっては、作品や作中人物に対して大きく3種類のスタンスの取り方がある。多くのユーザーである女性と近しい立場である受けに感情移入する場合、全く立場の異なる攻めに感情移入する場合、第3者としてやや引いた場所から見守る場合。
ドラマCDでは「モノローグ」や「ナレーション」として、形式上は3人称で書かれることの多い原作よりも語り手がはっきりと固定されるシステムが用いられる。ドラマ収録後のフリートークでもよく語られることだが、どうやらBLCDでは、受けがモノローグ及びナレーション担当すなわち受け視点の作品が圧倒的に多いらしい。
しかし私は、男性の生理に則った思考と行動で物語が進むのが非常にここちよく感じられること、モノローグにより攻めが完璧な人間としてではなく弱さや嫌な部分もある人物として描かれること、秘密をまとうことで受けの魅力が際立つことなどから、「攻め視点」の作品が好きである。
そこで今回、数あるBLCDの中から「攻め視点」の良作をいくつか紹介したい。「隠れた名作を発掘」というよりは、「すでに知られた名作を再認識」といった内容になってしまう点は、先にお詫びしておく。
『きみと手をつないで』(崎谷はるひ・Atisコレクション・羽多野渉×武内健) 『罪の褥も濡れる夜』(和泉桂・ムービック・遊佐浩二×神谷浩史) この2作に共通するのは、受けがあまりにも言葉足らずな人物であるという点であり、彼らを語り手にしてはまともに物語が進行しない恐れがあるというキャラクター造形である。
対して攻めは、様々な特技・能力に優れておりつつも、基本的には非常に常識の通じる人物であり、こうした普通の感覚を持ち合わせている人物により語られるからこそ、異形の者とも言える受けの魅力が聞き手にわかりやすく伝わるのだ。
2作とも3枚組で、もちろん絡みの描写もたっぷりと濃厚であるし、配役も文句はない。
方や登場人物を絞りに絞ってひたすら二人の関係を描く現代劇、方や30年近くの歳月を描き大河ドラマの様相を呈する時代物と対照的な内容であるが、共通した思想の感じられる作品である。
『牛泥棒』(木原音瀬原作・インターコミュニケーションズ・谷山紀章×岸尾だいすけ) 事情により喋ることのできない人物が受けという、音声ドラマとしてはかなり衝撃的な設定の作品である。しかもこの受けはある重大な秘密を抱えている。この秘密が物語の肝でもあるため、事情を何も知らない攻め視点の物語展開が採用されるのは当然の結果である。受けが「事情」を昇華して声を取り戻すのは物語も終盤であるが、そこに至るまでのポイントポイントで、息遣いのみでその存在感をしっかりと表現する岸尾さんの力量はなかなかだと感じた。もちろん主役の谷山さんの語りも、癇癪持ちのお坊ちゃんというキャラクターをよく捉えて聞きやすい。また妖怪のようなものが数多く登場する和風ファンタジーな本作は、効果音でもそのおどろおどろしい雰囲気が盛りたてられており、楽しめる作品である。
『ビューティフル・サンデー』(雪代鞠絵・フィフスアベニュー・緑川光×代永翼) エリートサラリーマン×高校生というカップリングだけ聞けば、通常は高校生が主人公で、彼にとって未知である大人の世界に身を置く攻めの一挙手一投足に振り回されるという展開が思い描かれる。しかし本作の設定は、野心家のサラリーマンが自分を好きだという高校生(自身の婚約者の弟)に「期間限定の遠距離恋愛」を持ちかけられるという、なかなかにトリッキーなものである。緑川さんのクールな中にどこか情の厚さを感じさせる語り、代永さんの浮ついたところのない高校生らしい自然な演技はいずれも、この奇妙な設定の物語の序盤?中盤の刺々しさと、その先に訪れる甘い結末の落差を的確に表現している。
今回紹介した作品はいずれも小説原作・シリアス目の作品であったが、実はコミック原作CDには意外と「攻め視点」が見受けられる。これは短編連作形式の原作では各話ごとに主役がチェンジするという手法がよく取られることによる。しかし、今回はできるだけ「攻め視点」の分量が多い作品を紹介したいという意図から割愛させていただいた。
ともかく、皆さんにもぜひ一度、CDを通じて「攻め視点」という物語構成の面白さを意識してみてもらいたい。
紹介者プロフィール:ぎが本州のやや北の方に、ひとりでひっそりと生息しています。10代の頃に多少かじりはしたものの、商業BLに本格参入したのは約2年前のこと。ごく当たり前にかわいい系・きれい系の受けが好きだったはずが、あれよあれよという間にオヤジ含め幅広く雑食に。自分の適応能力に驚かされます。