中国の歴史は調べれば調べるほど沼です。以前の
ちるちるでご紹介した宦官に関する記事で、ユーザーさんが書いてくださったコメントを読んで、まさにその通りだと思いました。
中国特有の職業、
宦官はコンプレックスを抱く多くの同性愛者を生み出しました。

本来は皇帝が自分の奥さんの浮気を防ぐために設けた職業であったはずだが、なぜか
宦官と関係を持った皇帝も少なくありません。
よって、中国では宦官と皇帝のBL小説も多く出版されています。
今日は
中国のラストエンペラー、愛新覚羅 溥儀についてお話したいと思います。
溥儀は1906年に生まれ、清朝の皇帝として4年間在任しました。清朝滅亡後は平民として生活し、
五回も違う女性と結婚しましたが、子孫は残せませんでした。
その原因は色んな説がありますが、一番多いのはゲイであることでした。
子供時代に無責任な宦官に媚薬飲まされたのがきっかけ
溥儀は自分が12歳の頃宦官たちに媚薬を飲まされたことを告白しています。
「
12歳の時
宦官に女の子を男の子との性行為をさせられた。まだコントロールができなかったからすぐダメになったが、その時また媚薬を飲まされた。」
お気に入りの宦官を自分のそばに置く
溥儀はインタービューで
「子供の時はオナニーが好きで、かわいい宦官を呼んできて、僕が言ったことはなんでもしてくれていた」と認めています。
同時に何人かの宦官との性行為や、
宦官におしっこを飲ませることもあったらしいです。
その中で
一番のお気に入りが王凤池という宦官で、溥儀より幾つか年上ですが、肌が白く、顔立ちがいいことで有名であったという。
溥儀は王凤池を自分のそばに置き、パートナーと暮らしているように生活していました。

(右から二番目が当時の王凤池)
奥さんとはセックスレスでよく喧嘩していた
先ほどご紹介した通り、溥儀は五回も結婚したが、子供は一人もいませんでした。
最後の奥さん李淑贤とは、セックスレスでよく喧嘩していました。
奥さんから離婚を申し出たが、当時の総理周恩来が
「子供が出来なくてもいいから、守護者としてそばにいてあげて欲しい」と言ったことによって、溥儀が亡くなるまでずっと一緒に生活していました。

(溥儀と最後の奥さん、李淑贤)
いかがでしたか?皇帝は自分のやりたいことをやり放題だと思っていましたが、色々大変ですね。
子供の頃から利用されたり、政治の道具として使われたりしたからこそ、こんな人生になってしまったのですね。
他人から見れば情欲に溺れたどうしようもない人生かもしれませんが、本人にとってはつらかったでしょう。
コメント1
つっかけさん
これもう、ラストエンペラーのスピンオフ映画作るしかないでしょう!
だれか中国のエロい人が作ってくれないかなぁ…?